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久しぶりの更新になりますが、開設当初からの横幅や画像サイズ及び縦横比を追加ページのみ時代に合わせて変更します
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道の駅 摩周温泉 再び弟子屈に戻り帰路となるが ここにも無料の足湯がある いつもなら行きと帰りのルートを変えるので、最終夜は阿寒湖という感じだが再び北見方面へ いずれ当日でも宿は空いていた |
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釣りをしたからか?体調も少し回復した 北見方面でも宿の選択肢があり、滝の湯の夢風泉か、北見のホテル、そして親友Sの部屋 当然、Sは仕事で帰りが遅い 体調がよくなければ早くホテルで休むか、明日の帰りを考えて滝の湯まで行くかを考えていたのだが スマホでホテルの空きを確認しながらのんびりと北見へ向かう ここの写真もマンネリ化してる美幌峠からのクシャロ湖 |
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何とか体調も回復したので、Sんちに泊めてもらう事にした 時間が余ったので、日帰り温泉にでもと・・・ でも、風呂は止めた方がいいかな?と随分と迷った 大学卒業から長い間、Sんちに泊まったのは1回だけ 北海道に来ても合えなかった事も多々あったが この旅、Sとは二泊目になった |
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北海道ならではかと思うけど マンションの階段の入り口とか、内地ではありえないサッシが付いてる 玄関より外にサッシがある事になるけど 当然、このサッシのカギは意味をなしてない Sはタバコ吸わないので、玄関の外で吸ってるのだけど これだと建物の中で吸ってる気分なので、サッシは開けますけど(笑) |
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8月3日 行きには見れなかった大雪山? 猛暑の北海道でも雪を背負っていた 昼飯もまた岩見沢の見慣れぬ回転寿司に入ったのだが 魚べいという元気寿司の全国チェーンの店舗だった・・・ 山梨では元気寿司チェーン店は撤退して見た事もない店だったので |
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温泉ではないがフェリーの風呂の写真 昨夜の北見の温泉は止めたし、明日の到着は遅いので、少し無理にでも風呂に入ったけど 帰りのフェリーも再び体調よくなく またしても殆ど寝たきり老人状態だった |
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8月4日 フェリーを下りると、旭川ナンバーの競技車が並走 同じフェリーに乗っていたのだろう 内地で全日本のジムカーナでもあるのだろうか? 行きとはちょっと違い新潟西から長岡までと、須坂から諏訪南までの約半分を高速で4日中に帰宅 走行距離も釣りで来るようになってからは最短だった 5日は予定通りと病院で医師の話 私自身も胃炎の再発と回復を繰り返した旅になったけど 順調に旅も終える事が出来た |
後書きになりますが 1週間後にはお盆、16日には母と韮崎の花火大会をアジトで見る約束も以前はしていたのだが それも無理な話になっていた 私自身も日を勘違いし忘れてしまい、夜に病院から家に帰って今日が16日だと気が付いた 翌17日、昨日が花火大会だった事を忘れていたと母に告げたが この頃から母の容体はさらに悪化し、8月20日死去 もう北海道へ連れて行く事も、花火大会を見る事も出来なくなってしまった 実はこの記事を書いてる最中での事でした 約一か月も掛かってしまいましたが、遅くなったのはそのためで 孝行したい時に親はなしとも言いますが 生きていても間に合わない事があるんだと思いました あと10日、いやあと1週間でも旅行を早く計画してれば2人で出発してたと思います そのくらい病気の進行が早かった 共倒れに近い状態で緊急入院したので、私も本来回復するハズの旅行中にも響きましたが その帰宅後は多忙ながらも健康を保ってます なかなか決められないスケジュール調整に協力してくれた親友Sにも感謝してます 旅行中の容体が安定していたのも、母もがんばって食事を取ってくれていたんだと思います しかし、まさかここまで早く死んでしまうとは思ってませんでした もし3週間の再延期していたら、まず18日には出発はしなかっただろうけど ちょうど命日が北見に当たり、しかも台風で帰って来れない状態でした 今年北海道に行けたのは、母も行きたいと言って予約したおかげでもあります ありがとう、そして安らかに眠ってください |